サマディとは?ヨガにおける悟りとサマディ(三昧)の関係について

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ヨガと悟りは関係が深いらしい。

 

 

「悟り」というのは、用語的な意味においては、

 

「迷いの世界を超え、真理を体得すること」(by ウィキペディア)

 

ですね。

 

 

もとは仏教用語でもあり、

 

「仏教において悟りは、涅槃解脱とも同義とされる」

 

と。

 

涅槃は悟りの境地のこと、解脱は輪廻転生の輪から抜け出して自由になることですね。

 

 

要するに、この世界と自分についての真実が完全にわかり、もう輪廻転生すらしなくてもいいよー(したいならしてもいいよー)、

 

ってなとこでしょうか。

 

人間的な苦しみからの解放、という意味も大きいんでしょう。

 

 

さて、ヨガと悟りは関係が深いと言いましたが、

 

もともとのヨガの目的は、心を止めて、悟りをひらくことにあったらしい。(ヨーガスートラ)

 

(参照→ヨガとは何か?~ヨガの種類と目的について~

 

 

ヨガの根本経典とも言われるヨーガスートラには、直接“悟り”という言葉は出てこないのですが(そもそも“悟り”自体日本語ですしね)、

その代わりと言ってはなんだが、

 

サマディ、という言葉が出てくる。

 

サマディ。

日本語で言うと三昧(ざんまい)

 

意味としては

「そればっかり」

みたいな感じでしょうか。

 

ん、何か違うか?

 

 

昔インスタントラーメンで「中華三昧」って商品がありましたが、

あれは何でしょう、中華ばっかり!ってことでしょうか。

 

あとは贅沢三昧とか、読書三昧とか、言いますよね。

 

もーう、飽きるまでそれをやる、みたいな。

 

 

まぁ、「一つのもので満たされる(そればかり)」という意味においては、

そんなに大きくハズレてはいないと思います。

 

 

ヨガでいうサマディと、いわゆる一般的な(?)悟りというものは、

完全にではないけでも似たようなものなのではないか。

 

そこで、ヨガでいうサマディとは何なのかを見ていけば、

悟りというものも自ずと見えやすくなってくるのかな、と思います。

 

 

じゃあ、ヨガで言う三昧、つまりサマディとは、一体何なんでしょうか??

 

◇サマディ(三昧)とは?アシュタンガヨガの最終ステップ!

では、再び『ヨーガスートラ』を紐解いてみましょう。

 

ヨーガスートラには、ヨガの八支則(あるいは8ステップ)とも言えるものがあります。

 

これをサンスクリットでアシュタンガヨガといい、

その思想を元にした同名の名を付けたヨガの流派が現在は存在します。

 

アシュタンガヨガが最初に説かれたのが『ヨーガスートラ』であり、

そこには、サマディを最終とした、8つのステップについて書かれています。

 

詳しくは、また別の記事で触れたいと思いますが、その8ステップとは、

 

1、ヤマ(禁戒)

2、ニヤマ(勧戒)

3、アーサナ(坐法)

4、プラーナヤマ(調気法)

5、プラティヤハーラ(感覚制御)

6、ダラーナ(集中)

7、ディヤーナ(瞑想)

8、サマディ(三昧)

 

となっています。

 

日本語訳に何をあてるか、悩ましいところではありますね。

特にダラーナは「凝念」と言ったり、ディヤーナは「静慮」と言ったりもしますが、

まぁ、わかりやすいところで、とえあえず上記の訳でいいでしょう。

 

この8ステップ、

まぁ、カンタンに、ザックリ言いますと、

 

やっちゃいけないことをやらず(ヤマ)、やった方がいいことをやり(ニヤマ)

その後は安定した姿勢で座り(アーサナ)、体内の気の流れを良くし(プラーナヤマ)

そんでもって、外側にさまよう感覚を内側に向け(プラティヤハーラ)、意識を集中させ(ダラーナ)

うまいこと瞑想に入る(ディヤーナ)ことができれば、サマディはその先にあるよ

 

ってなことでしょうか。

 

ザックリですね~。

 

 

実際はこの8ステップ、最初にサマディがあって、そこに至るためにはどうしたらいいか?

ってことで、逆算して考えられたのではないか、という説もあります。

 

それも言い得て妙ですね。

 

あるいはそれは8つの段階ではなく、

ヨガを構成する、8本の枝のようなもの’だ、とする見解もあります。

 

それもまぁ、どれを採用したいか、その人の解釈になりますね。

 

確かにヤマ、ニヤマを完璧に守らないとサマディに至れないのか?

って言うと微妙だったりしますしね。

 

まぁ、とりあえずヨーガスートラで、ヨガの“最終地点”のように取り挙げられているサマディ。

 

それをさらに詳しく見ていくと、どうやらサマディも一つではないらしいというのが見えてきます。

いろんな種類のサマディがあったのだと。

 

◇サマディとは?サマディ(三昧)にはいろいろな種類があった!

 

再び『ヨーガスートラ』を拠り所とさせていただきますが、

 

よくよく知っていくと、

サマディには実にたくさんの種類があることがわかってきます。

 

例えば…

 

・サンプラギャータ・サマディ(有想三昧)

・サヴィタルカ・サマディ(有尋三昧)

・サヴィチャーラ・サマディ(有伺三昧)

・サナンダ・サマディ(有楽三昧)

・サスミータ・サマディ(有我想三昧)

・ア・サンプラギャータ・サマディ(無想三昧)

 

と。

 

いやぁ、もう訳わかんないですね。

 

まぁでも、最後の「ア・サンプラギャータ・サマディ」ってのが、最高のものなんだろうと思います。

 

「無想三昧(むそうざんまい)」

つまり「想い」のないサマディ。

 

それはまさに「心のはたらきが止滅した」状態のことなんだと思います。

 

 

そして、これがまた言い方が変わったバージョンがあるもんだから、さらにややこしい。

 

知りたいですか?

 

ホントに?

 

ややこしいですよ。

 

 

 

まぁ、じゃあ一応紹介だけでも。

 

・サビージャ・サマディ(有種子三昧)

・サヴィタルカ・サマディ(有尋定)

・ニルヴィタルカ・サマディ(無尋定)

・サヴィチャーラ・サマディ(有伺定)

・ニルヴィチャーラ・サマディ(無伺定)

・ニルヴィージャ・サマディ(無種子三昧)

 

とな。

 

ひゃー、ややこしい。訳わからん。

 

このへんはおそらく仏教用語から来ているような感じですね。

仏教でも三昧が説かれていますから。

 

『ヨーガスートラ』の編纂が紀元後4~5世紀だとすると、

仏教の考え方の影響を受けている可能性は高いと思われます。

 

「尋」だの「伺」だのの説明はこの際省きますが、

後に紹介した方のサマディ群は、どうやら「種子」があるか、ないかが大きな問題らしいです。

 

種がある。

いろいろなものが派生していく大元がある、というところでしょうか。

 

原因と結果で言えば、原因がある、というようなもの。

 

それがあるのが「有種子三昧(うしゅしざんまい)」であり、それがあるうちはまだ本当のサマディではないと。

 

だから、その根本的な原因である“種”すらもなくなる「無種子三昧(むしゅしざんまい」こそが、

本当に求められるべきサマディの境地なのでしょう。

 

ちなみにここまでのサマディの種類等については、『ヨーガスートラ』と、佐保田先生の解説を参考にさせてもらいました。

ヨーガスートラ 佐保田鶴治

サマディの説明については、自分がインドはヒマラヤへヨガを学びに行ったときも、

先のとは少し違いますが、似たような用語を使って説明されていました。

 

そっちの方が少しわかりやすいかな。

 

◇インド人マスターに聞いた!サマディの種類とは?

サマディにはまず4種類のサマディがあると。

 

・一つめがヴィタルカ・サマディ

これは肉体のサマディであると。

 

 

・二つめがヴィチャーラ・サマディ

これがマインド(思考)のサマディであると。

 

・3つめが、アスミータ・サマディ

これはエゴ(自我)のサマディである。

 

・そして4つめが、アナンダ・サマディ

アナンダ、至福のサマディってとこでしょうか。

 

 

これらは全て対象のあるサマディであると。

 

肉体なら肉体、めっちゃ肉体!みたいな。

マインド(思考)なら、思考だらけ!みたいな。(そうなのか?)

 

至福のサマディってのはいいですね。

もう、至福しかない、みたいなサマディ。

 

たまに瞑想ですんごい至福を経験した、って方いますよね。

 

自分も一度そんなのありました。

 

もーう、何もしなくてもただただ幸せ、みたいな。

あんな感覚に近いのかもしれないな。

 

 

しかし本当のサマディというものは、対象すらなくなるものなんだと思います。

 

それをア・サンプラギャン・サマディという。

あるいは、ニルヴィカルパ・サマディ、ニルヴィージャ・サマディという。

 

先の「無想三昧」、「無種子三昧」ですね。

 

 

それは、全てを超えた、言ってしまえば“無”のサマディということなのでしょう。

 

 

肉体を超え、思考を超え、全てを超えた先にある、“無”の境地

 

それは、いわゆる悟りというものと、ほぼ同じものと捉えていいんではないかと思います。

 

 

そこに至るアプローチを、ヨガ的に説明すると、

アシュタンガヨガ、ヨガの8ステップ、

ということになるのでしょうか。

 

 

古来からか人々から求められてきた、悟りとか、解脱とかいった、

いわゆるこの世のカラクリを解き、生の苦しみから解放されるための道。

 

そこに至るために、数ある手段、方法が試みられてきたのでしょう。

 

 

そしておそらく、数少ないながらも、確かにそれで解放されていった魂もまたあったのでしょう。

 

その後それを人々に説いて回ったということで有名になった、

イエス・キリストや仏陀といった方がいた。

 

有名、無名問わず、この世と自分自身の本当の姿を“悟った”覚者たちは、

それぞれ固有の方法、あり方で、そこに至ったのだと思います。

 

ヨガとはまた違った用語なのかもしれませんが、

サハジャ・サマディ、というサマディもあるようです。

 

サハジャというのは「自発的」という意味で、

特に瞑想とか何もしないでも、自然とサマディの状態でいられると。

 

20世紀の覚者、ラマナ・マハルシは、覚醒してから生涯その状態が続いたといいますね。

 

もしかしたら、それこそが最高のサマディと言えるのかもしれない。

 

 

それは別にヨガである必要はない。

 

逆にヨガという枠組みに縛られていると、

かえって難しくなる、

とも言えるかもしれません。

 

まぁそれでも、昔からヨガで説かれてきた、

心を止滅させ、真我や神を悟るための方法、手段として、

『ヨーガスートラ』などに書かれている、サマディと、そこに至る道筋を見ていくことも、

また一つ有効なのではないかと思います。

 

 

では、最後にまとめを。

 

◇まとめ

・‟悟り”とヨガでいうサマディは捉え方は似たようなもの。

 

・『ヨーガスートラ』における、ヨガの8ステップの最終段階がサマディである。

 

・サマディにはいろいろな種類がある。(こんがらがるぐらい)

 

・何も無いサマディ(無想三昧、無種子三昧)こそが、本当のサマディ?

 

・世の中には瞑想すらしなくても、自発的に(サハジャ)サマディの状態でいられる方もいる。

とまぁ、こんな感じでしょうか。

 

なかなか捉えづらいところはありますが、

まぁ、なんとなくの知識程度で問題ないかと思います。

 

実際ヨガの実践や瞑想の中ではこんなこと考えないですから( ‾▽‾)

 

 

それでは今回はこのへんで。

 

また!

 

 

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